Yという男。
先々週の土曜日か日曜日、何年かぶりに Yという男 に会った。
16から一緒に呑んでる。
このYという男は 僕たち の英雄みたいなやつだ。
なんで英雄かって?
それは 僕たちの宝物 を守り抜く、盾になってくれた男だからだ。
遡る事20数年、僕たちは小学生。
本当に馬鹿げた世界だった。
先生達はアホか変態ばかりだった。
親はなんの疑いもなく、その先生達に頭を下げてた。
このくだらなさに気づいてしまったものは行き場がなかった。
でも、唯一救いがあった。
それは笑いでありユーモアだった。
いかにこの現状が馬鹿げているかを友達と集まって笑ってた。
そうやって僕たちはストレスを発散していた。
今思うと、このユーモアというのは、現状を冷静に受け止める視点 と 現状から一つ抜け出した視点 がないと生まれない。どれだけ周りから ひねくれ者 のレッテルを貼られたとしても。
今でも思い出して笑ってしまう出来事がある。(時に爆笑する。)
小学6年の担任、T。
真夏の太陽みたいにギラギラとまぶしいおでこをしていた。
当時30代だったTはすでに、どこまでがおでこの領土で、どこまでが頭部の領土なのか、という国境が曖昧になってた。38度線は見る者の判断に委ねられていた。
Tの体育の授業は独特で、いつも小太鼓を脇に抱えていて、声を出す代わりにその太鼓を叩いていた。
「早く走れ。」ポンポンポン。「ゆっくり走れ。」ポーンポーンポーン。「歩け。」ポーンポン。僕たちはすべて、その太鼓に合わせて動きを変えた。とてつもない違和感を感じながら。
T曰く、大きな声を出すよりも、太鼓を叩いたほうが音も良く響くし、指示が通りやすい。とのことだった。
ああ、そうなんだね...。
納得いかないなあ、この違和感。
ある日、体育の授業が終わった後、その違和感を感じながら廊下を歩いていると、あの 直希 と 叔父貴 コンビが向こうからニヤニヤしながら近づいてきた。
そして、ボソボソとどちらかが喋り始めた。笑いをこらえきれない様子だった。
「ぽんぽんぽん。クックック...よう耐えてまんなあ。あんなもん。」
「え?何?」
「いやいや、クッ...。さきほど、しぬるさんらの体育の授業を教室から拝見させてもらってたんですけどね。クックックック...あんなもん、猿回しでっせ。クッ...猿回しと猿や。テレビでようやってまっしゃろ?しぬるさんがどんだけ強がってても、あんなもん、猿や。クックック...。違いあらへん。ぽ〜んぽ〜んぽ〜ん。クックックッ...。クッ...。」
そのどちらかが続けた。
「Tもさぞかし、気持ちええんでしょうなあ。恍惚とした表情してましたで。たぶん、ビンビンでっせあれは。パンツぐしょぐしょですわ、知らんけど。クックックック.....。ぽ〜んぽん。クックッ...。」
この二人組は今でも、どゲスい下ネタが好きだけれども、当時からもうすでにその片鱗をうかがわせていた。
この出来事が頭をよぎるたび、僕らがどれだけ高尚なことを言おうが、綺麗事を言おうが、本能的には猿と何も変わらないってことを再認識させてくれる。
オス猿は、導いてくれるボス猿を求める。
ボス猿は数を増やすために戦い続ける。
ボス猿はやがて力が衰えてくる。
オス猿の中から、ボス猿を倒すものが現れる。
今度はそいつがボス猿となる。
他のオス猿どもは、手のひらを返し、新しいボス猿についていく。
かつてのボス猿はもう、用無しってことで放置される。
いつの時代も、この繰り返しじゃないか。(他の時代がどうだったかなんて知らない。)
新しいボス猿、新しい教祖、新しいリーダー、新しい考え方、新しいメソッド、新しいテクニック、もっと、そうもっと新しい何かがあるはず...。
もう、一部のカリスマ性のある人間が、大多数を引っ張っていく時代ではないと、個人的には思うんだけど。
(引きこもりの子供を抱えた親が、今日も 突出したカリスマなんちゃら の登場を待ちわびてネットでたくさんの情報を集め回っている。「夜回りどうのこうのという人がすごい」と聞けばその本を買い、「元極道でどうのこうのという人がすごい」と聞けば講演会に走る。そうしてる壁の反対側で、あなたの愛する子供が、膝を抱えてうずくまって(いるかどうかは知らんが。こちらもまたネットをしているかもしれない。案外心地いいいのかもしれん。)いるというのに。なぜ、今すぐにでも出来る、その子に意識を向ける。という一番最優先な事をしないのか。)
それからまもなくして、僕たちは中学校にあがる事になる。
ここで厄介ごとが起こる。というか僕たちからすれば、厄災レベルだった。
そう、となりの学校からあいつらが流れ込んできた。
禁断の果実 を持ち込んだあいつらが。
あいつらにはこの、崇高なる言葉遊び という概念がなかった。
その代わりに、数が多いほうがいい。量が多いほうがいい...例えば...
名前を多くに知られたほうがいい。あいつとあいつのつながりを知っていたほうがいい。そして割り込む隙を見つけてなるべく多くのつながりを作ったほうが良い。中には、どれだけ悪い事をしたか。という暴力的なエピソードを多く持ってたほうが良い...というようなわけのわからぬ、数、量の幻想を持ち込んできた。
それだけならまだしも、やつら は、どんどんと僕たちの風習にして宝物、である言葉遊びを壊し始めた。自分達の価値観で染め始めた。意にそぐわないものは、暴力性を駆使した矯正をかけられた。
暴力性を駆使した矯正といっても目に見えるやり方は稀だった。人数による圧力、印象操作。(自分達はイケてて、他はダサい。というとてつもなくダサいやり方で。)
当然、僕たちの中にもやつらを恐れて、言葉遊び を捨てるものが出てきた。気に入られようと、媚びへつらう者まで出てきた。
そして、こちら側にも、あちら側にも良い顔をし、状況によって微妙に立ち位置や発言をずらし、その瞬間、優勢だと思うほうにつきたがる者。
そりゃそうさ、自分を守るためだ。仕方がない。それが悪いとは思ってない。
徐々に、言葉の通じるものが減っていき、中学時代は非常に息苦しかった。
吸うことは許されても、吐くことは許されなかった。まるで拷問だった。
息を吸うのに、息を吐かないやつがいるだろうか?
飯を食うのに、糞をしないやつがいるだろうか?
糞ができないのに、飯を食うやつがいるだろうか?
ジョーカーを引く覚悟のない者に、カードは配られるだろうか?
飯を食わないやつは糞をしないし、糞ができないやつは飯を食わない。
まるで「食えないやつ」だ。
飯も食わないし糞もしない「食えないやつ」が他人を見て
カードが配られた という一面だけに目を向け「それは運だ!」と騒ぎ立てる!!
うん。そうだね。
糞食らえ。
(いつもの如く話が脱線してしまったので、ここで修正する。)
僕が、息苦しくて言葉を吐くのも面倒に感じてきたのと時を同じくして、世間一般で言われる 勝者 のルートを歩んでいたはずの男がグレ始める。
小学生の頃からピアノを習い、中学生の時に水泳でインターハイに出場し、常に最新のファッションで身を包み、学校の成績も優秀で、ついでに端正な顔立ちをしており、他校にファンクラブまであった男。
それがYという男。
親が引いたレールに反抗してか、徐々に暴力行為が目立つようになる。
僕も一度だけその暴力行為に巻き込まれた事がある。
ただ、廊下ですれ違っただけで殴られた。
理由は「俺は今、機嫌が悪い。」との事だった。
僕はそれ以降「こいつとは絶対に関わるまい。」と思っていた。
相変わらず息苦しさは続いていた。
もう、中学生活は諦めることにして、高校生活にかける事にした。
高校に入れば、何かが変わるはず。
でもなあ、実際はそんなドラマみたいな展開はないんだよなあ。
高校に入って愕然とした。
ここでも、やつらが布教したルールがはびこっている。
そりゃそうだよなあ。
中学から数メートルしか離れていない高校。
僕も含めて、ただ近いって理由で選んだ学校なんだから、そうなるわな。
志の高いやつらなんか、とっくにこの世界から抜け出してるよなあ。
半分くらいが見た事のある顔ぶれ。
それにうすうす気が付いてたんだけど、これってやつらが布教したルールじゃなくて、世の中全体がこのルールで動いてんだろ?やつらはそれを取り入れただけなんだろ?
なんだ。つまんねえなあ。
誰とも口を聞きたくないなあ。
と思いながらも、それなりに充実した高校生活を送ろうと思い、自分のコンプレックスを解消すべく、弱小のラグビー部へと見学しに行く事に決めた。
当時の僕は、身長が185センチありながら、体重が53キロというとてつもなくヒョロヒョロな体型をしていた。(数行後にもったいぶって再登場させるはずだった Yという男 をここで登場させる。この後、Yという男 と仲良くなるが、「なぜお前はそんなに痩せているのか?」という質問に冗談で「絹川家の習慣でね、晩御飯が月水金の週三回しか出ないから。」と答えるとなんと、Yという男 はその言葉を信じた。「そうだったのか...。いつでもうちにご飯食べに来い。親父とおかんには伝えておくから気にしなくても良い。」と予想外の返答が帰ってきた。Yという男 よ。ごめんな。あれは嘘だったんだ。僕の母親は、多少不器用な所がありながらも、何事にも一生懸命で、自分の子供に食べ物を与えない。というようなバカな真似はしない。世の中にはそういうバカがいるらしいが。そのおかげで甥っ子のハルクは小学2年生らしからぬ体型をしている。が、ここではハルクは関係ない。ハルクが初めて僕の目に映るのはもっともっと、気が遠くなるほど後の事。言いたかったのは、それほどまでに当時の僕は痩せていた。そして Yという男 の心が意外にも純粋だったって事だ。)
それは、もう物心ついた時からのコンプレックスで、ずっと近所のガキ大将にいじられ倒していた。
小学生のある日、その近所のガキ大将と僕を含めた取り巻きと一緒に、自動販売機のジュースを買いに行った。当時はまだ100円だった。
「俺はファンタグレープを買うから、一城はそのまずそうなコーヒーにしろ。」
「...うん。」
このガキ大将に逆らうことは、その時の僕からすれば 死 を意味したのでそれに従うことにした。
100円を入れて、まずそうなコーヒーを押そうとした時、強い風が吹いた。
僕はよろめいた。
その姿を、ガキ大将が見てた。
僕の直感が「これはまずい所を見られた。」と言った。
案の錠、ガキ大将はまん丸に目を見開いてこっちを向きなおした。
満面の笑みを浮かべていた。
「おい、今俺は、世紀の大発見をした。新しいことわざを発明した。」
「あのなあ...」
タメにタメてこう言った。
「風が吹けば、一城がよろめく」
風が吹けば桶屋が儲かる。という諺を文字って、今目の前で起こった単なる事実を叫んだ。
誰かがガキ大将に聞いた
「それってどういう意味?」
ガキ大将が答えた。
「今、風が吹いた時に、一城がよろめいた。だから「風が吹けば、一城がよろめく」」
みんな爆笑した。
僕は「へへっ。」と苦笑いした。頼りないやつめ。
これは致命的な失態だった。
ずいぶんと長い間、強い風が吹くたびに、僕の耳にこの新しい諺が突き刺さった。
思い返しても腹が......立たない。悔しいことに笑っている。
くそ。おもろいやないか。あいつオモロかったんやな。
こう笑えるのも、今はもうその頃の面影もなく、体重が76キロで少し腹の出た体型をしているからかもしれない。当時はどうしよもなく深刻になっていたけど、時が解決するってこともあるんだな。と新ためて思う。むしろ今度は、この腹をどう引っ込めるか?が問題となっている。
ラグビー部の練習を少し離れた場所から眺めていた。
すると遠くからニヤニヤとした顔で一人の男が近づいてきて、僕の横に立った。
これがそう。Yという男。
Yという男。Part2へと続く。
(続かない可能性も大だ。念を押しておくけど、これはすべてフィクションだ。)
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