20170129
言葉によるコミュニケーションってなんだろう?
相手をコントロールする事?
相手を思うがままに操る事?
これが世の中では主流だと思う。
なんでそう思うのかって?
コンビニの書籍コーナーで少し立ち読みすればわかる。
「こういう状況では、こう話すべき。」
「こういう状況にしたければ、こういう風に話すべき。」
そういうので溢れている。
でも僕は敢えて反論するよ。
違うと思う。
順序が逆になってる。
僕が感じるままに表現すれば、言葉は起こる。それも自然に。
言葉よりも先に、各々が持つ(各々が持つ という表現も正確にはおかしい)意識の共有が行われる。
それは 見えざる力 によってその場に最も適した状態にバランスが取られる。
言葉起こってくるのはその後だ。
意識の共有が行われる前に、無理に場を作ろうと、「世の中で大流行り」の コミュニケーションテクニック を使うと、かえって場の流れが不自然になる。対立が生まれる。
持つ者 と 持たざる者、 勝つ者 と 負ける者、 与える者 と 受け取る者 が生まれる。
意識の共有が行われた後のコミュニケーションではそれがない。
立ち位置がない。高低がない。優劣がない。皆同じだ。
何が言いたいのかって?僕にもわからない。
ただ、僕は、人とうまく会話できずに長年悩んできた過去がある。
でもこのコミュニケーションには(僕はこれを「真のコミュニケーション」と呼ぼう!)言葉の数や、しゃべりの上手さは関係がない!だって、何を喋ろうが、黙っていようがその背後では 意識の共有が行われているのだから!
静寂の共鳴、愛の交歓、意識の共有。
私 という感覚を保ちながら 皆が溶け合う。
個人 を保ちながら 一つで在る事 を再認識する。
どんどん眠くなってきたので少し寝るよ。
地球上に存在する「すべて」の吃りで悩んでいる人や、自分が 人見知りが激しい と「思い込んで」悩んでいる人々へ!!
あなた方にラブとピースを!!
むしろあなた方の方が 静寂 に近いじゃないか!!!
歯には歯を。よりも 目と目を 合わせよう!!!!
おやすみ。(少し寝てからまたどこかへ出かけるのだろう)
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