誰も知らない。誰も見た事がない。だけど確かに存在する。キヌズBAR、キヌの日々。


20170212

おはようございます。

私は 絹川 一城 です。(私 というのは非常に抵抗があり恥ずかしいのですが、僕もいい大人なので公の場では、私 と言えるような人になりたいです。ですから、絹川 一城 の一人称は 私 となります。)


昨日、ふと思いました。

「お酒の無茶飲みは金輪際やめる。」


なぜあのような、まるで取り憑かれたような飲み方をするのか?と考えてみたんです。

すると10代のお酒を飲み始めた頃の気持ちが蘇ってきました。


寂しい(表向きでは全くさみしくないように装っています。)

人が怖い(人ともっと接したいのに、自分に自信がないから怖い。だから他人に興味がないように装っています。)


注目されたい(本当はもっと相手にされたいのに伝えるのが怖い。だから一人でいるのが好きなキャラクターを装っています。装っているだけなので大勢で楽しんでいる人たちや、自分より注目されている人たちが非常に気になり、強い嫉妬心を感じています。場合によっては口汚い言葉でこき下ろします。)


愛されたい(本当はもっと好意を示して欲しいのに(或いは示したい)、自分に自信がないため、どうしても裏があるのでは?と勘ぐってしまう。勘ぐってしまう自分を見たくないので、最初から興味がなかったかのように装います。装っているだけなので周りが自分のことをどう思っているのかが気になって仕方がありません。そこで思いつきます。日常に溢れたささいな愛情表現を 低俗 なものとして切り離し、自分は 絶対的な愛、高尚な愛 の方に関心があり、それを理解しているのだ。というふうに装い、自分を一段上 に位置付けをし、安心しようとします。はい何を隠そう、私の場合がこれにあたります。過去の記事や、日常での過去の発言を思い返してみるとこれがわかります。日常的な愛情表現も 愛 に含まれているので一番わかっていないのは私だということになります。)


そうだ!お酒をいっぱい飲めるキャラクターをつくりあげればいいんだ!そうすればもっとみんなから注目されるはず!愛されるはず!もっとみて!もっとみてよ!


こういった動機からお酒を無茶飲みするようになったことが見えてきました。

10代の頃は毎晩毎晩吐きながら、それでも「これを越えればみんな僕の事を好きになってくれるはず。僕にはこれしかないんだ。本当にこれしかないんだ。これがなければ誰も好きになってくれないんだ。」というような狂った心境で飲んでいた事が思い出されました。


もうだいぶ前から、身近な人たちに「お酒を飲むのはいいけど、無茶飲みはやめよう。体に悪いし早死にするよ。」と忠告されていましたが、上記のキャラクターに頼ってた私はそのメッセージを「あのキャラクターをもっと見せてくれ。もっと壊れてくれ。」とねじ曲げて受け取っていました。


が最近、周りの人たちは本当に体の事を心配してアドバイスをくれているのだというのが腑に落ちました。


私の中でずっと生き続けてきたあの十代の情緒不安定な子を、そろそろ解放してあげたいと思います。


今まで本当にありがとう!よく頑張ったね!でももうがんばらなくていいよ。ありのままでいいよ!本当にありがとう!!

という言葉とともに。


最後に無茶飲みした時、出来るだけ自分の様子を注意深く観察してみたところ、たしかにテンションは上がりますが、いろんな感覚が鈍ることがわかりました。

また、全くオープンに振舞っているように演じていますが、同時に、これ以上立ち入ることを許さない。という拒絶する態度が見受けられました。

そして本音を話したいという気持ちがありながら、本音を話したくないという気持ちが対立しているため、本音の上を長ったらしい分かりにくい言葉でコーティングして表現している事がわかりました。

その下にある本音は、単純明快で短いセンテンスです。

たった、二文字の時すらあります。


以上のような事から、無茶飲みした時の自分も コーティングした自分 だった事がわかりました。


これからはなるべく、言動を本音に沿ったものにし、少しづつコーティングをはがしていきたい。

そして、お酒に使っていたエネルギーを、もっと周りの人の反応に繊細に気づき、もっと丁寧に、もっとわかりやすい表現を心がけ、そしてなるべく常にやさしい自分で在れるように使っていきたい。と思い立ちました。



33歳にして、やっと大人の階段を登り始めました。


みなさん、ごきげんよう。

良い1日を!


キヌズBAR日記

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