書く喜びについて
小学校4年生の時の夏休み。
宿題に読書感想文があった。
僕はただでさえ宿題が嫌いだったのに、読書感想文はもっと嫌いだった。
なぜなら、先生やまわりの大人たちは、 僕の本当の感想 など求めていなかったからだ。
そう、小学校4年生の夏休み。僕は最後の日まで書き上げる事ができなかった。
というよりも、感想文を書くための本さえ読んでいなかった。
見るに見かねて母親が、一つの本を選んで、ご丁寧にも感想文の下書きも用意してくれた。
僕はその本のページすらめくらずに(その証拠に本の題名を覚えてはいない。)下書きをそのまま写して、夏休み明けに担任の先生に提出した。
その感想文を担任の先生がえらく気に入り、「もっとこう書いた方が良く見えるわよ。」とさらに手を加えた。
その感想文が、学年の金賞をとってしまった。
僕は表彰式の日、仮病を使ってやすんだ。
何一つ嬉しくなかったからだ。
それ以降、自分が書いた文章を人に見せる事が怖くなった。
僕の頭の中に、良い文書、悪い文章という概念が生まれてしまったからだ。
時は経ち、いまこうしてブログの記事を書いている。
不思議なもんやね。
ブログを始めてから気がついたのは、僕は 書く事 が好きだったということだ。
書く喜び についての裏日記があった。
毎度のことだが特に書きたいことはない。書きたいことがないというのは、書くことが嫌いだ。ということではない。
むしろ、たくさん書きたい。たまに降りてくるあの感覚。胸の奥辺りから湧き上がって押し寄せてくる喜びに書く喜びも相まり、どんどんと指が動く。あの感覚がいつ来るのかは俺にはわからない。
善人にしかやってこないのだろうか。喫煙者にはやってこないのだろうか。
毎日早起きをし、神に祈り、万物に感謝し、決して怒らず、妬まず、肉は決して口にしない。そういう人間にしかやってこないのだろうか。
そんなことはない。なぜならその感覚を俺も知っているからだ。
ほら来た。またやって来た。今日は来るのが遅かったな。次はもっと早く来いよ。
なんならずっとそばにいてくれ。今日も来てくれてありがとう。
よし決めた!俺は明日からも、酒を飲み、タバコを吸い、愚痴を言う。
ブログを始めたきっかけは、3人の人物が関わっている。
一人は遠くに住む、人生の良き先輩であり仲間であるS氏(嶋田さんやね)に
「絹川くん、ブログをやってみたら?」と言われた。
もう一人は地元に住む、これもS氏(さとるのことやね)に「絹川くん、ブログやったらいいねん。アウトプットせな。(この横文字には若干イラっとした)」と言われた。
そしてもう一人はT氏(これはけんちゃんのことやね)に、仕事中にもかかわらず、僕がお構いなしに 裏日記 なるもの朗読していたら、
「ええやん。おもろいやん。」と言ってくれた。
この3人の言葉が数日間、頭の中をグルグルと回り続け、そしてある日突然、ブログ作りに熱中し始めた。
そしたら出来てた。
僕に書く喜びを思いださせてくれてありがとう。
本当に。本当に。
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