一城

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20170228

ええ、そうです。私は、絹川一城 です。先日、あのノーテンキなキヌが言った この道 とは一体なんだったのでしょうか?私はその答えを知っております。知っておりますが、あまり言いたくはありません。なぜかと申しますと、このような単語を、男である私の口から発するのは非常に憚られるからでございます。非常に恥ずかしい気持ちがするからでございます。ここで一つの考えが湧いて来ました。「これはブログではないか。キーボードを打っているだけなので、私の口から発するわけではない。」ええ、確かにそうかもしれません。では、お教えしましょう。あの時、インスピレーションの中で伝えられた この道 とは 「愛の道」。愛の道 だと伝えられました。愛の道とは 許しの道 だと伝えられました。愛の道とは 受け入れの道 だと伝えられました。愛の道とは 受容の道 だと伝えられました。(受け入れ と 受容 がかぶっているのではないか?というツッコミは私は知りません。確かにそう伝えられました。)私はいよいよ気が狂ってきたのでしょうか?いいえ、より正気に戻っている感じがします。心はとても静かで、頭はとても冷静です。昨日の晩から突然、不安や迷いが出てきたのですが、先ほどおさまりました。そしてやはり この道 を行く。と新たに決意したのであります。今週の仕事のシフトは、昼すぎから夜中までとなっているので、どうしてもこの時間帯はパソコンの前に座ってしまいます。来週から、週休二日制のシフトに戻るので、少しリラックスした日常が戻ってきそうです。もうすぐ春ですね。春までにはタバコをやめたいと思います。良い一日を。

20170226

「ちゃんとしなさい。」「早く大人になりなさい。」「そんな事言ってたら周りからバカにされるよ。」「⚪︎⚪︎ちゃんを見習いなさい。あの子は同じ年なのに立派ね。」そう言って子供達は、小さい頃からあるがままの自分を否定されながら育つ。子供らしさ を十分に体験することなく、大人 という仮面をつけられる。でも、どれだけ 大人 という仮面をつけても、その時の 満たされなかった子供 はいつまでも残る。僕が思うに、子供らしさ を十分に体験させてもらうと、(子供らしさに 愛 が注がれると。そう、花瓶に水を差すように。)ごく自然に、その人にあったスピードで心は成長する。本来それは、親や周りの大人の役割なはずなんだけど、なにせ親や周りの大人達も 大人という仮面をつけたままの満たされなかった子供 なのでどうすればいいのかがわからない。どうすればいいのかわからないので、とりあえずこう言う。「ちゃんとしなさい。」「早く大人になりなさい。」「そんな事言ってたらまわりからバカにされるよ。」「⚪︎⚪︎ちゃんを見習いなさい。あの子は同じ年なのに立派ね。」そもそも、ちゃんとした子供って何?ちゃんとした子猫、ちゃんとした子犬、ちゃんとした小鳥、ちゃんとした森、ちゃんとした月、ちゃんとした空、そしてちゃんとした子供。そんなのある?彼らはいつだってあるがままだ。で、大人達の方はどうだろう?満たされなかった本当の気持ち をひた隠しにしたまま、「大人な遊び」にすり替えてそれを満たそうとする。(僕からすれば、子供心をひた隠しにしようとする大人は子供じみて見え、子供心を隠そうとしない大人の方が本当の意味で大人に見える。)「大人な遊び」(時にそれは 危険な遊び にまで発展する。)を楽しんでいるのならいいんだけど、大抵の場合は余計に満たされなくなり、余計に苦しみが増し、余計に問題が増える。だって、本当にしたかったことはそれじゃないから。本当はあの時どうしたかった?どうされたかった?甘いお菓子をお腹いっぱい食べてみたかった?ご飯を手で食べてみたかった?テーブルの上に素足で登ってみたかった?変な替え歌を大声で歌ってみたかった?川で水遊びをしてみたかった?校区外まで自転車で出かけてみたかった?1日中部屋で漫画を読んでいたかった?ずっとゲームをしていたかった?プラモデルをずっと眺めていたかった?ずっとあの子と遊んでいたかった?塗り絵をしていたかった?自分だけの秘密基地が欲しかった?パパと一緒にキャッチボールをしてみたかった?ママに「よく頑張ったね」って抱きしめられたかった?さあ、恥ずかしがらずに一緒に遊ぼう!内なる子供に愛を注ごう!僕は未だにかくれんぼが好きだ。ずっとこの部屋に隠れていたんだけど、誰も見つけにこないので、電車に乗って街へ出かけるよ。おはよう。

20170223

これは僕が22歳の時の話だ。(今は33歳だけど、、、といいながら全く年齢なんて気にしていない。いつも10歳くらいの気分でいる。「童心を忘れない。」って意味じゃない。童心そのものだ!君は学校に行かなくちゃならないのに、道端のアリの行列が気になって巣までついて行ったことはないかい?そう!それだよ!今でもそうなんだ!)なにもかもがどうでもよくなって、毎日毎日うんざりした気分で部屋に籠ってた。なにもする気が起きないので、ずっとぼーっとしてた。どれくらいの日が過ぎたのだろう?そんな生活にもうんざりしてた。そのうんざり度数がめいっぱいになった時、心の中で一つの疑問が湧いた。「本当の本当の事ってなんなんだろう?」そしてその次に、心の深いところから強い祈りが湧いた。「どうか僕に本当の事を教えて下さい!少しでも教えてくださるのなら、僕は死んだってかまいません!だから本当の本当の事を教えて下さい!」薄暗いジメジメとした部屋が、とてもやさしくてやわらかい空間に感じた。時間が止まったように感じた。頭を悩ませていたいろんな出来事がまるでジョークのように感じられた。心は静かな喜びで満たされていた。何もないのに幸せだった。やがて徐々に元の状態に戻っていった。「ねえ!さっきのはなんなの?」そんな疑問を心の中でぶつけた。すると、こんなインスピレーションがやってきた。「あなたは、常にさっきのような状態で生きる事も可能なのです。一度だけ この道 を行く。と決心して下さい。ただそれだけでいいのです。もっとも安全で、簡単で、まっすぐな道です。ゆっくり、自分のペースで歩んでください。あせる必要もありません。比べる必要もありません。やがて、いつもそうである事に気がつくでしょう。」「ええ、わかりました。僕は この道 を歩みます。」あれから12年が経つ。今日もこの部屋の明かりは、やわらかくてやさしい。君も一緒にこの道を歩いてみないか?(コーヒー牛乳を飲み終わったので、お風呂に入って寝るよ。おやすみ。)

20170212

おはようございます。私は 絹川 一城 です。(私 というのは非常に抵抗があり恥ずかしいのですが、僕もいい大人なので公の場では、私 と言えるような人になりたいです。ですから、絹川 一城 の一人称は 私 となります。)昨日、ふと思いました。「お酒の無茶飲みは金輪際やめる。」なぜあのような、まるで取り憑かれたような飲み方をするのか?と考えてみたんです。すると10代のお酒を飲み始めた頃の気持ちが蘇ってきました。寂しい(表向きでは全くさみしくないように装っています。)人が怖い(人ともっと接したいのに、自分に自信がないから怖い。だから他人に興味がないように装っています。)注目されたい(本当はもっと相手にされたいのに伝えるのが怖い。だから一人でいるのが好きなキャラクターを装っています。装っているだけなので大勢で楽しんでいる人たちや、自分より注目されている人たちが非常に気になり、強い嫉妬心を感じています。場合によっては口汚い言葉でこき下ろします。)愛されたい(本当はもっと好意を示して欲しいのに(或いは示したい)、自分に自信がないため、どうしても裏があるのでは?と勘ぐってしまう。勘ぐってしまう自分を見たくないので、最初から興味がなかったかのように装います。装っているだけなので周りが自分のことをどう思っているのかが気になって仕方がありません。そこで思いつきます。日常に溢れたささいな愛情表現を 低俗 なものとして切り離し、自分は 絶対的な愛、高尚な愛 の方に関心があり、それを理解しているのだ。というふうに装い、自分を一段上 に位置付けをし、安心しようとします。はい何を隠そう、私の場合がこれにあたります。過去の記事や、日常での過去の発言を思い返してみるとこれがわかります。日常的な愛情表現も 愛 に含まれているので一番わかっていないのは私だということになります。)そうだ!お酒をいっぱい飲めるキャラクターをつくりあげればいいんだ!そうすればもっとみんなから注目されるはず!愛されるはず!もっとみて!もっとみてよ!こういった動機からお酒を無茶飲みするようになったことが見えてきました。10代の頃は毎晩毎晩吐きながら、それでも「これを越えればみんな僕の事を好きになってくれるはず。僕にはこれしかないんだ。本当にこれしかないんだ。これがなければ誰も好きになってくれないんだ。」というような狂った心境で飲んでいた事が思い出されました。もうだいぶ前から、身近な人たちに「お酒を飲むのはいいけど、無茶飲みはやめよう。体に悪いし早死にするよ。」と忠告されていましたが、上記のキャラクターに頼ってた私はそのメッセージを「あのキャラクターをもっと見せてくれ。もっと壊れてくれ。」とねじ曲げて受け取っていました。が最近、周りの人たちは本当に体の事を心配してアドバイスをくれているのだというのが腑に落ちました。私の中でずっと生き続けてきたあの十代の情緒不安定な子を、そろそろ解放してあげたいと思います。今まで本当にありがとう!よく頑張ったね!でももうがんばらなくていいよ。ありのままでいいよ!本当にありがとう!!という言葉とともに。最後に無茶飲みした時、出来るだけ自分の様子を注意深く観察してみたところ、たしかにテンションは上がりますが、いろんな感覚が鈍ることがわかりました。また、全くオープンに振舞っているように演じていますが、同時に、これ以上立ち入ることを許さない。という拒絶する態度が見受けられました。そして本音を話したいという気持ちがありながら、本音を話したくないという気持ちが対立しているため、本音の上を長ったらしい分かりにくい言葉でコーティングして表現している事がわかりました。その下にある本音は、単純明快で短いセンテンスです。たった、二文字の時すらあります。以上のような事から、無茶飲みした時の自分も コーティングした自分 だった事がわかりました。これからはなるべく、言動を本音に沿ったものにし、少しづつコーティングをはがしていきたい。そして、お酒に使っていたエネルギーを、もっと周りの人の反応に繊細に気づき、もっと丁寧に、もっとわかりやすい表現を心がけ、そしてなるべく常にやさしい自分で在れるように使っていきたい。と思い立ちました。33歳にして、やっと大人の階段を登り始めました。みなさん、ごきげんよう。良い1日を!

20170211

「.........。」目が覚めると沈黙から始まる。そして今見上げているものが、天井だった事を思いだす。白い。天井に向けていた意識が今度は反対側に向く。この二つの覗き穴。かぼちゃ大のなにかをくりぬいた覗き穴。頭と目だった事を思いだす。(この覗き穴は非常に不思議なもので、向こう側から見ると二つあるのに、こちら側からみると一つしかない。お前も鏡の前に立って確認してみろよ。(お前って言ってごめんね。この人はこういうキャラクターだからね。byキヌ)そのかぼちゃには二つの覗き穴がついているにもかかわらず、二つの覗き穴を覗いているこちら側の穴は一つしかない。穴?穴ですらない。穴には必ず 終わり と 始まり という境目があるはずだ。境目があるか?どこにある?「いやいや、こちらがわには二つの目があって、そこからものを見ているんだよ。」と頭はいうかもしれない。それはただの 考え にすぎない。実際に見えているものだけに焦点をあててみてほしい。境目があるか?全てが一つとして見えてこないか?広大な空間の中にこの世界が密着して現れていないか?自分の体 と呼ばれるこの重量を持った物体もその表れの世界側にないか?じゃあそれを見ているこの 単一の目 はなんだ?それはなんだ?そう、俺とお前は同じなんだよ。一つなんだよ。)そして、頭の下には首がついている。首の下には胴体、胴体には手と足がついている。ちゃんと動くか確認してみる。うん、ちゃんと動く。頭のてっぺんから足のつま先、隅々にまで意識を張り巡らせてみる。一人の人間 の完成。そうこうしているうちにさまざまな感情、記憶が立ち上がってくる。昨晩の事や、もっと前の事や、未来の展望や、あの子の笑顔や、俺のあだ名の「しぬる」。悲しくて、とても愛おしいなこの人間世界は。空気式イス取りゲーム、大平原での高鬼ごっこ、そして檻の中のダンス。上等じゃないか、はい、喜んで。俺は今日もコーヒーを入れに行く。この 単一の目 を携えて。おはよう。(ありがとう。ダグラスハーディング。そしてありがとう。俺に関わってくれている人たち。みんなが幸せで、健康で、心豊かでありますように!)